ロバートが、亡くなりました。
2018/3/1
愛猫ロバートが、亡くなりました。
1月3日。
乾いた咳が頻繁になり、抗生剤と気管拡張剤を処方されるも回復せず、ついには横たわったままに。
1月7日。
レントゲン画像には、黒く映るはずなのに真っ白の肺。
水が、溜まっている。
胸水の除去は、無麻酔で体外から針を刺して行うのだという。
フラスコ内の、赤く透き通った胸水300cc。
そして、それを除去した後の画像にあらわれた、肺にへばりつくようにある鶏卵大の腫瘍。
リンパ腫。
以来、日を追うごとに食欲が減退し、利尿剤の影響でトイレが間に合わなくなり、音を立てて腹で呼吸するようになった。
彼は投薬を嫌がり、私は「ごめんね」と言いながら、それでも投薬した。
まだ息をしているか、生きているか、不安に押しつぶされそうになりながら仕事をして帰宅して、腹の辺りが動いているか確かめる日が続いた。
彼は、ソファの下から出てこなくなった。
私は、投薬をやめた。
弱りゆく彼の前で、私は無力で無能だった。
数年前から、別れの準備の必要性を感じ、彼との来し方を思い返していた。
私が出産などで数週間ぶりに帰宅すると、彼はすり寄って喉をゴロゴロ鳴らして…ということはなかった。
“あれっ、帰ってきたの。それじゃ、また一緒に暮らすんだね”
とでも言うように一瞥するのみなのが、猫らしくて好きだった。
一方で、酔いつぶれた私を放置して自分だけ寝ようとした夫に抗議して玄関で放尿したし、
最初の子を産んで家に連れ帰った日、ベビーベッドの柵の間から手を入れて、爪をしまって息子の頭を撫でたし、
冬には私のお腹の辺りに丸まって眠ったが、昨年末には布団に入らなくなり、ある夜、胸元に乗って、いつまでも私を見下ろした。
“一緒に眠りたいけど、もうできないんだよ。”
心が通い合ったと思える瞬間があった。
だから、癌だとわかったら、抗がん剤を注射するために数週ごとにに通院するか。
酸素室を設置したり、呼吸器を装着させたりするか。
彼の被毛は変わらず豊かで柔らかだったし、猫ドックの数値も良かったし、何よりそんなこと考えたくもなかったから、
いつも先送りして、準備はいつまでも調わないまま、そのときが来てしまった。
1月12日。
何日かぶりでソファの下から出て、苦しくて仕方ないというように鳴き、あてなく歩き回った。
翌日には抗がん剤による治療を始めることになっていたが、それで回復するとは思えないほど、彼の呼吸器は機能していないようだった。
抱きしめることさえできず、私は彼と向き合った。
「もう、きっと、長くは一緒にいられないね。
ずっと一緒にいたいけれど、それは無理だ。
私のところに来てくれて、嬉しかったよ。
でも、もう、きっと、さよならだ」。
1月13日。
余力は残っていないはずなのに、彼は暴れて、病院に着くころには上体を上下させて喘ぐように呼吸した。
私は、胸水を取れば、抗がん剤を注射すれば楽になるはずだと、すがる思いで受診した。
少しだけ抵抗するような声がして、レントゲン撮影はいつもより早く終わった。
診察室に戻った彼は息も絶え絶えで、診察台にしがみついて全身を波打たせた。
でも、もう、空気を吸えていなかった。
胸水を取り除くため、彼は再び処置室へ連れて行かれた。
「フラスコを取って」など指示していた先生の声が、「飼い主さんを呼んできて」に変わったのは、すぐだった。
そこには、呼吸ができなくなって、心臓が止まるのを待つだけのロバートの姿があった。
14歳。リンパ腫と診断されてから6日しか経っていなかった。
今年の冬は寒い。
ロバートは、ノルウェーの猫なのにとても寒がりだった。
東京に大雪が降った日の帰り道、息子が言った。
「ロバートが今いるところは、あったかいかな。」
そうだといい、と思う。
ロバートが、生きた証に。